[14代目引退ブログ] ちょなんこりん
こんにちは、よねやさんこと、ちょなんこりんです。
私は今、ドリームよさこい当日の東京へ向かう電車の中でこのブログを書いています。
今日になるまで、何度も書いては消して、書いては消してを繰り返してきたのですが、時間制限があったほうが踏ん切りがつくだろうと、今書いている次第です。
みなさんと合流するまでの間に書き終えようと思います。
何を書こうか、書くべきか、どこまで書いていいのか、と悩んだのですが、考えるだけ無駄かなとこの2週間を経て思ったので、赴くままに書いていこうと思います。
写真は札幌の一番街での1枚です。演舞中でもないし、口上2人ともにこりともしていませんが、とても気に入っている写真です。二人とも少し顔がこわばっていて、緊張しているのが伝わってくる写真です。札幌一番街での口上が一番(このブログを書いているのはどりよさ前なので、どりよさがそれを超えることを祈りますが)気持ちが込められたなと個人的に思うので、この写真にしました。そして、口上している姿が私らしいなとも思ったからです。
口上と踊り子との間で葛藤した日々もありました。1つは13代目引退演舞でのトラウマ。あの時の世界のすべての音が聞こえなくなる感覚は、一生忘れないと思います。今でもお祭りの前には、夢に出てくることがあります。踊り子に戻りたいとも強く思いました。情けない私は、踊りたくて入舞したわけだし、口上としてステージに立つことが多くなるとも思っていなかったし、と言い訳を並べました。そんなもやもやした気持ちを誤魔化すために、過度な自主練をして足を痛めてしまったときもありましたね。あの時は本当に弱ってたなあ。正直これを書いている今も今日の演舞に対して不安でいっぱいです。ですが、良い口上をする、良い演舞を見せるというのが、私が先輩方にできる罪滅ぼしだと思っているので、負けません。待ってろ、アクアシティ。
アクアシティに喧嘩を売ったところで、口上の話は終えましょうか。
次は私の大学人生を注ぎ込んだスタッフの話です。
1年生の頃は、ほとんど何をしていいかわからず、先輩たちについて行くだけのスタッフでした。たまに口をはさんでくる奴、みたいな立ち位置です。そんな奴が2年生の秋から副舞長なんて、びっくりですよね。
私は副舞長らしくできていたでしょうか。
後輩たちにかっこいい背中を見せられたでしょうか。
今自分にそう問いかけると、自信を持って頷くことはできません。大きな背中の舞長に甘えてしまっていたのだと思います。
余裕がなくなって、人にあたってしまう日々を過ごしました。
周りが見えていないこともよくありました。
自分の意見を言うのを躊躇う日もありました。
練習に身が入らない日もありました。
練習に行きたくないと思う日もありました。
きちんと指示ができず、混乱させてしまった時もありました。
自分で始めたことから逃げようとした日もありました。
祭りゆうきでは忘れ物をしました。
今回のどりよさでの特殊は、完全に私のわがままを通してしまいました。こな、特殊も口上もやってくれてありがとう。
振り返ってみると、
度を超えて優しい斬桐舞のみなさんに甘えていたのだなと気付かされます。
ごめんなさい、そしてありがとう。
こんなに人生で何かに没頭したのは、斬桐舞が初めてです。こんなに毎日何かを考え続ける日々を送ったのは、斬桐舞が初めてです。
斬桐舞が私の大学生活のすべてなんです。
辛かったです。本当に辛かった。
でも、私は斬桐舞が大好きです。
辛かったけど、本当に楽しかったから、
辛かったけど、本当に嬉しかったから、
辛かったけど、仲間がそばにいたから、
辛かったけど、それは私がそれくらい真剣に取り組んだから、
辛かったけど、斬桐舞だったから、
私は今日まで斬桐舞の一員であり続けられたんです。
踊るのって本当に楽しいですよね。
よさこいソーランって本当に楽しいですよね。
そしてそれを一緒にするのが大好きな仲間たちとだったら、何倍も、何十倍も楽しくなる。
口上の席で皆さんの顔を見られるのが本当に嬉しかった。踊っている時にふと見るみなさんの顔が本当に好きでした。そしていつも後ろでどんと構え、私たちを励ましてくれる旗も、本当に大好きだった。
ありがとう。
やばい、お祭り始まる前なのに泣きそう。
そろそろ終わらせましょう。
今日まで全力で走ってきました。
立ち止まってしまった日もあったけど、常に全力でした。
それはみなさんの存在があったから。本当にありがとうございました。
皆さんと一緒に、今日も、明日も、最後まで全力で駆け抜けたいと思います。
2年半お世話になりました。
本当にありがとうございました。
またね。
14代目副舞長 ちょなんこりん
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