[15代目引退ブログ!] みどり
皆さんこんにちは!
15代目副舞長兼振り班長をつとめさせていただきました、みどりです!
わーーーー、終わってしまいましたねーー(泣)
今までの人生の中でもとびきり濃くて、鮮やかな青春の日々が、ついに過去の思い出となってしまいました。始まったものには必ず終わりがあるという当然だけど忘れがちなことを目の前に突き付けられていますが、関わってくだったみなさまのおかげで毎日全力のキリキリライフを送ることができたので悔いは一切ないです。皆さん一人一人で構成された15代目だったからこそこんなに執行代をエンジョイさせていただくことができました。本当にありがとうございました😭
おセンチ隊長のコナもびっくりするほどの超長文での自分語りになってしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです。
〈13代目〉
大学生になって初めて一人暮らしを始め、コロナ禍での新生活になにかと不安だった春、1年生の時に初めて行った新歓がキリキリでした。その日はキリキリ側も練習体験の初日で、新入生が私一人しかいませんでした。何十人の舞員対私一人の手厚い歓迎と質問攻めを受けて、なんて楽しくてあったかい場所だろう!と、異世界に転生してきた主人公のような気分で帰宅しました。
でも、新歓の一回目のお披露目会で『双碧』というオリジナル曲を振り入れしてもらったときに、全然踊れなくて、入舞するかとても迷いました。もし入ってもうまく踊れないのではないか?、振りが覚えられないのではないか?と不安になったからです。
なので、2回目のお披露目会までに1回目のお披露目会の動画を見て振りを覚えて、2回目のお披露目会で踊ることができたら入舞しようと思いました。
そして、2回目のお披露目会でも1回目と同じように双碧の振り入れがあって、そのときは練習の甲斐あって、曲に合わせて踊ることができて、踊りが楽しいと思うことができました。家で自分のペースで振りを練習すれば、私でも振りを覚えられる!と思い、入舞を決意しました。
そこから、キリキリ沼にハマるまでは一瞬でした。ほぼすべての練習に顔を出し、練習後も、家でも、どこでも狂ったようにずっと踊ってました。ただただ踊りが上達することが楽しかったし、先輩に褒めてもらうのがうれしかったです。
演劇、絵やサッカーなど、小中高などに今までやってきたことは、全部中途半端なまま投げ出してきました。今まであまり人生でこれといった大きな成功体験もないまま、いろんなことをあきらめてきました。最初はがんばっていたものの、何をやるにも習得に人より時間がかかってしまい、だんだん周りの人に実力で抜かされて、最後の方でフェードアウトしてしまうということを繰り返してきました。自分は何をやっても不器用で中途半端だと思っていました。そんな自分が初めて仲間と一緒に楽しく、本気で活動できた、活き活きと自信をもって輝くことができたのがよさこいソーランでした。
初めての外でのお祭りであるまつりゆうきでは、私たちはお客さんにお見せする演舞を披露しているんだ!という意識が芽生えて、ド緊張&不思議な気持ちになると同時に、先輩も社会人さんも同期もみんなひっくるめて斬桐舞という一つのチームで踊っているとい一体感を感じることができました。
13代目最後のドリーム夜さ来いでは、踊る前も後も終始ウルウルしていました。13代目の先輩方のおかげでよさこいを好きになることができました。13代目の先輩方のおかげで練習自体がめちゃくちゃ楽しかったし、早く練習行きたいなー!って待ち遠しく感じながら過ごしていました。斬桐舞という居場所をくれて本当にありがとうございました。
〈14代目〉
14代目に代替わりして、私は運営陣であるスタッフになりました。
大好きな斬桐舞によりコミットしたいという比較的軽い気持ちで入りましたが、急にキリキリに関する情報量が増え、いろいろな角度からの意見が耳に入ってきて、自分なりに斬桐舞についていろんなことを考えるようになりました。
14代目の3年スタッフの先輩方は初めて参加するお祭りや新曲制作など、初めての大仕事を先頭に立って進めてくれました。本当に大変なことをやってのけて、キリキリをつないでくださりありがとうございました。
15代目でも4年生にはめちゃくちゃお世話になりました。4年生なしでは、いろいろ仕事が回ってなかったと思います。サポーターや裏練での振り入れ、踊りのパート変更など、本当にたくさん迷惑をかけました。本当にありがとうございました。
また14代目では、「マスク有り声出しなし」という条件下ではありましたが、お祭りにたくさん出られるようになりました。そこでいろんなチームの演舞を見るようになり、よさこいそのものに興味を持つようになりました。泊りがけの祭りでは、夜な夜な同じ部屋の人と「こんな構成できたらかっこよくない?」などと振りや構成について話し合うようになりました。(長話に付き合ってくれてありがとう)
引退のドリよさでも、いろんなことを思い出して終始うるうるしていました。感謝も、後悔も、感動もいろんな感情が混ざって、前口上から泣いてました。14代目執行代の皆さん、15代目になっても練習や演舞に顔を出してくれて本当にありがとうございます。正直めちゃくちゃうれしかったです。
〈15代目〉
気づいたら執行代になってました。気づいたら副舞長、振り班長になっていました。
怒涛の1年間で、あっという間でした。
少しでも時間があれば、毎日いろんなチームの動画を見たり、練習動画を何十回と見返したりしてました。四六時中キリキリの事ばっかり考えていました。繰り返しになってしまいますが、このようなかけがえのない1年間を経験できたのは、15代目のメンバー全体にの暖かさ、たのしさ、優しさ、それぞれ個性をもった1人ひとりの頑張りのおかげだと思います、至らぬ点はたくさんあったと思いますが、これまで一緒に踊ってくれて、熱い演舞を、練習を一緒に作り上げてくれて、本当にありがとうございました。
私個人の思い振り返ってみようと思うのですが、全部挙げていくときりがないので、大きく2つに分けて語ります。
1. コロナ禍の制限がなくなってからのお祭りにについて
私たちの代は、途中からコロナに関する制限が大きく解除された年でした。
その時の心境について語らせてください。
結構前の話に遡るのですが、2年生のころ、たまたまYouTubeを見ていたら、コロナ禍前のやどかり祭のよっちょれの動画を見つけました。そこには、コロナ前のキリキリの、お客さんも踊り子の分け隔てなく一緒に踊ったり、全力で声を出したりしている姿が写っていました。
皆さん本当に楽しそうだったし、何よりキリキリの踊り子がエンターテイナーみたく、お客さんを巻き込んで一緒に踊りを楽しもうとしていることが、すごく衝撃でした。あ!昔のキリキリはこんな感じだったんだ!と、気づくと同時に、眩しくてうらやましくて、涙が出てきました。
なので、制限が解除されてからは、「この時のキリキリみたいにしないと!」「自分達が主導して、お客さんに絡みに行ったり、全力で表情や声も使ってパフォーマンスしたりして、昔のキリキリに戻さなければいけない!」という使命感を勝手に感じていました。
そこで、制限が解除される前は、社会人さんや、初代の方々や、コロナ前を知っている先輩方にたくさん話を聞いてまわりました。
初めて、お客さんと絡みに行けるようになったのは、確かやどかり祭でした。
みんながお客さんと絡むことにあまり慣れていないため、みんながシャイにまらないか、ちゃんとエンターテイナーできるか、すこし不安でした。しかし当日に、入ったばかりの一年生が「我先に!」とお客さんの方にハイタッチに言っている姿を見て、その不安はなくなりました。嬉しかったです。
引退の雙峰祭でも、地味にうらじゃが一番楽しかった気がします。コロナ明けで交流を取り戻してくださった他チームの方々、お世話になったOBOGなみなさん、友達の友達や全く知らない人たち、小さい子供など、いろんな人と最後に踊り狂えて本当に幸せでした。隣で顔を真っ赤にして泣きながら掛け声を言っているえまるのせいで、めちゃくちゃ泣いてしまいました。
改めまして、たくさん相談に乗ってくださったり、いろいろ教えてくださった先輩方、社会人の方々本当にありがとうございました!めちゃくちゃ助かりました!
2.紫瀑について
15代目では、クオリティと楽しさの両立目指してきました。
つまり、
観てくださったお客さんの少しでも多くに、キリキリいいね!カッコいい!元気もらえた!って思っていただきたい、
そして、練習に来てくれる斬桐舞のメンバーにとっても15代目斬桐舞が居場所や、楽しい場所になってもらいたい。
この2軸の両立をずっと目指してきました。自分たちならやれるとも思っていました。
人数が激減した15代目では、今までの紫瀑をそのまま踊ってもどれだけ極めても14代目のドリよさを超えられないと思いました。そこで、新歓までに3回に分けて段階的に振りを大きく変えました。この変更で満足すると思っていたし、一回だけ変更して、その後は変えないのでお願いします!と頭を下げました。
でも、思ったように順調にはいきませんでした。執行代の1年間、練習に行きたくないと思ったことは一度もなかったけど、練習の帰りに猛反省して半分泣きながら帰ることはたくさんありました。
一生懸命振りを考えて振りを変えても思ったようにいかなかったり、F練に人が全然来なかったり、考えることが多すぎていっぱいいっぱいになってしまったりしました。
毎回のお祭りがみんなの思い出に残り、かつ素晴らしい演舞でなければいけないと躍起になっていました。お祭りに向けて毎日よさこいの動画を漁ったり、えまると打合せしたりしているうちに、3年スタッフだけで突っ走ってしまっているのではないかと急に寂しくなった時期もありました。
振りや構成を変えて挑んだいばよさと札幌では、他チームの方に「構成変わりましたね!」と気づいていただいたり、先輩や同期から様々なフィードバックを受けたりしました。同時に、審査結果を見たり他チームさんの演舞を見たりして、いろいろな反省点が見えてきました。
そして、かみす舞っちゃげ祭りを目標に、リメイクを泣きのもう一回したいと強く思ってしまいました。スタッフのみんなは頑張ろうと言ってくれたものの、舞員のみんなに言うのはとてもとても怖かったです。
みんなは大変な思いをしてまで、きれいな演舞披露することを望んでいなくて、みんなで踊れるだけでそれで楽しいのかもしれない。それなのに、私たちのわがままで振りを変えて負担を増やして、それであんまり目に見える変化がなかったらどうしようと不安になっていました。
でも、いざF練が始まるとみんな真剣に話を聞いてくれて、練習時間外も必死で練習してくれて、みんなで力を合わせてかみす舞っちゃげ祭りで素晴らしい演舞を披露することができました。ファイナル進出チームの発表でキリキリの名前が呼ばれた瞬間、今までのすべてが報われた気がしたし、認められた気がして、本当にうれしかった。みんなの気持ちが一つのなったあのステージは一生忘れないのではないかと思います。
15代目では、チームで全力で物事に取り組む経験をさせてもらいました。自分の良いところも分かったけど、悪いところも痛いほど突きつけられました。
このような経験ができたことは人生の財産だと思います。
これから、スタッフとして引っ張っていく後輩たちには、俺らの青春が始まるぜー!くらいのノリで楽しく肩の力を抜いて、めちゃくちゃ気軽に周りの人を頼って、納得できる、後悔のないキリキリライフを送ってください!
最後に、
15代目は本当にたくさんの人に支えられてきました。お祭りを運営してくださった方々。相談を聞いてくれた方々、お祭りでサポーターをしてくださった人達、練習にふらっと来てくれた先輩、練習で振り入れなどを手伝ってくださった先輩方、演舞を見に来てくださった方々、一緒に青春を送ってくれた15代目斬桐舞のメンバーの方々。本当に、本当にありがとうございました。
これからまたどこかで会ったら気軽に話しかけてください。気軽にごはんに誘ってください。
いろいろ思い出しながら思うまま書いていたら想定の何倍も長くなってしまいました。すみません。
みどりでした!
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