16代目引退ブログ ららどす
引退ブログって難しいですよね。いざ文章にするとなるとどこから切り込んでいいかわからないし、公開するに相応しいものなのか悩んでしまいます。WEB担当者、それから私の後にブログ公開を控えている皆さんへ、すみませんでした。(土下座)
現役のみなさん、活動お疲れ様です。17代目は16代目よりもさらに忙しくなるでしょうししっかり寝てくださいね。こんな現役を引退した老人の小言を読んだところで、何の役に立ちませんのでこんなページはさっさと閉じて明日のためにちゃんと休んでおきましょう。すでにわかっている人もいるかもしれませんが、いつものネガティブ節が全開の、誰の得にもならない自己満文章となっています。
それでは引退ブログなので、引退してもなおこうやってブログの提出も遅れて迷惑をかけている私が、2年半斬桐舞に害を与えないようにいかに頑張ってきていかに空回りしてきていかに恩恵を受けているのか、普段言うタイミングが中々なかったことについても語りますね。5人だったからこそ巻き込まれた大きな渦にも。こんな風にずっとネガキャンしているけど、斬桐舞には本当に感謝しているのであまり気を悪くしないでいただけたら嬉しいです。
きっかけ
私がまだよさこいという文化の存在すらも知らなかった時代。斬桐舞のことを気に留めるきっかけとなった出来事は、新歓祭のブースの一角で、ステージ演舞後に衣装を着て楽しそうに談笑している斬桐舞を見たことでした。帰宅後、新歓祭でもらったチラシを見ながらどのサークルに入ろうかなぁと悩んでいた時、楽しそうに談話していた斬桐舞のことが頭をよぎりました。いやまさか、自分はあんなキラキラしたサークルには縁がないだろうと思っていたのですが、斬桐舞が『双璧』を披露している動画にたどり着いて、一目惚れしてしまいました。
もし自分も斬桐舞に入ったら、あんな風にキラキラした存在になれるのだろうか?憧れの人たちのもとに行ってもいいのか?!と気づいて、入ると決めてからは斬桐舞としての今後が楽しみで常にウキウキしていました。
想定外
大きな渦に巻き込まれるきっかけとなってしまったと言ったのはもちろん、入る前は斬桐舞の大勢の舞員の中で端っこの方にいる一舞員としてなら、なんとか自分も斬桐舞に混ざることができるだろうと思っていたからです。入ってみたら女子5人しか同期がいなくて、何かの間違いだろうと楽観的に過ごしていたその希望も虚しく、避けようもなく“端っこ”では済まされない立場になってしまいました。
14代目から15代目への代替わりが見えてきた1年生の夏の終わり、わかってはいたけれどスタッフ先輩や同級生からスタッフにならないかと打診される時がきて、一応最後まで抵抗はした後にスタッフになりました。端っこでついていければ万々歳と思っていたレベルの人間が、1年(2年)も斬桐舞の中心で支えていく人になるとすんなり承諾したくはなかったのです。
新歓
そんなこともあって、新歓隊長に真っ先に名乗りをあげました。スタッフとして斬桐舞を支えていく自信はなかったけど、新歓はせいぜい半年も活動期間がないし、“新入舞員を入れる”という立派すぎる使命があるのでやりがいもあったからです。多分、コンスタントな仕事よりも、忙しくても新歓のようにエネルギーを一気に出して終われる仕事の方が私に向いているのでしょうね。
私は新歓でずっと心に決めていたことがあって、同級生に負担をかけないことでした。同級生にはこれからのスタッフとしての運営の方をがんばってほしいから、新歓で手伝わせて、消費させたくありませんでした。
同級生に仕事は一切振らずに一人で始めました。新歓隊長は仕事を振って、学校側と斬桐舞舞員との橋渡しをして、話し合いの議長をするのが役目です。SNSでの宣伝の文言、写真や対面開催の新歓の内容決め、ポスター・ビラ、各SNSetc…普通は新2年生全体で協力するところを、ほとんど話題に出さず独断で進めました。
逆にいえばそれだけスタッフをやる覚悟がなかったし、新歓が終わったら“離脱”とまではいかなくても、スタッフの仕事が軽くなるかなという思惑をもっていて勝手に行動していたんですね。
結論から言うと、視野の狭い計画でした。
そもそも新歓って色々な人に魅力的と思ってもらう必要があって、一人の人の視点からアピールするのではなく、色々な人が色々な視点でアピールすることがより広い層の獲得につながるんですよね(途中で気付いた)。しかも4月の中旬くらいになって、ついに燃料が切れてSNSの新しい投稿ができなくなってしまって手伝ってもらうことになりました。
自分はあのとき“あえて相談しなかった”のではなく“相談できなかった”のだということに後で気付くことになるのですが、その話は新曲の章で。
新曲
私、振り班、曲班、衣装班がある中で唯一自分ができそうだなーと思っていたのが衣装班だったんですね。でも、紫瀑のリメイクをしていた時点で、振り班ではていちゃんが活躍していて衣装班ではないんちゃんが活躍していて、追加でりんしーちゃんは口上だし音楽が好きだから曲班をやるよーという話になって、ちゅらちゃんはメイクが好きだからメイク班だねぇー…と言っているうちに私以外が班長に就任してしまいました。そんな流れでじゃあ総括はららどすだねぇーなんて話もありましたし新歓みたいに短期間のプロジェクトなので私にもできる気がして、じゃあ総括やるかー、とやる気満々でした。
総括はないんじゃね?
新歓で誰にも仕事を振らなかったことから総括に向いていないと言われ総括から降ろされてしまったんですよね。「報連相ができないじゃん」と言われ「いや報連相くらい誰でもできるわ!」と返したのですがこの言葉がある種の転換点になったかもしれません。
気が付いたこと
報連相ってただ言えばいいだけじゃないんだってこと。私の持っている言葉が貧相だから詳細やニュアンスまでを人に伝えきれる自信がなくて伝えることを諦めていたこと。もしかしたら仕事上の会話って何気ない話を普段たくさんする間柄でこそしやすくなるんじゃないか。
新曲のとき同期LINEが活発に動いて、何度もご飯を食べながら話し合いをしたけど、新歓の時もやればよかったんじゃないか。ていうか人にここまで些細なことを相談したり連絡したりてもいいんだ。
人と人が分かり合うことは無理だから個人でやっていくしかないと、私だけが高い壁を作っていたみたい。
副舞長
15代目から16代目への代替わりが見えてきた頃、同期で神妙な面持ちの中話し合いをした。ていちゃんが舞長をやるって言ってくれた。結局後日、適性を考えてないんちゃんが外部と交流のある渉外を、りんしーちゃんが仕事が沢山ある会計をやるから、ららどすは副舞長をやってくれないかと言われた。また私のいない場で決めさせて言わせてしまった。自分達だって自分の立場に文句がないわけではないだろうに。
ごめんねありがとう
新曲の話。通常の斬桐舞運営の継続ができるのかどうかすらも全員自信がなかった。新曲を作らずに紫瀑をもう一年継続するという案も出た。私は大変すぎる新曲制作によって、学年のみんなが仲互いしてバラバラになってしまわない自信がなかった。バラバラになってこの場所を失うことになるくらいだったら新曲はやらなくてもいいと思うと言った。
そんなときにていちゃんが新曲をやりたいと言ってくれた。ていちゃんが言うならやろうと、みんなで意見がまとまった。新曲がうまくいかなくてどうにもならなかったとき言った人に責任が発生してしまうと思ったから、本当はやりたかったけど言えなかった。私はいつもそうやって責任を他の人に負わせる。けど本当は私、新曲めっちゃ作りたかったんだ。言ってくれてありがとう。
妬みが感謝に変わった話
最初の頃は人数がもっと多い他学年が、大人数で楽しそうに話していたりみんなで楽しそうに出かけたりしているのを見る度に嫉妬していた。5人は5人で楽しいけど、人数が多くてスタッフにならないという選択肢がある上に、仲良くできる規模が大きいなんてずるいといったらありゃしない。
そんなこと思ってごめんなさい
最初は確かに学年内で仲良くしていることが多いように感じた斬桐舞。でも14→15→16代目と時が経つにつれて学年を越えた交流がどんどん活発に行われるようになってきてびっくり。人数が少ない寂しさなんてまったく感じなくなった。お泊りに行ったり飲み会をしたり練習後にごはんに行ったり、いつも誘ってくれるのは1個上の先輩。
すごく嬉しい。でもその度に自分のふがいなさを感じる。企画して、誘って、盛り上げてくれる。こんなにいい環境にいるのに自分がそういうところで貢献できないのが悔しくて。なのでいつか自分でも斬桐舞の人を遊びに誘ってリードできるようになりたいと思った。
少なくてよかったかも
人数が少ないからこそ学年の話題は、5分の1の確率で聞かれる。話したり盛り上げたりするのは苦手だけど、3年生が珍しいからという理由で構ってもらえたことも多々あったかもしれない。
スタッフをやって心からよかった
私は面白い人間でもないし、事務っぽい「仕事」をする以外で斬桐舞に貢献が全然できない。スタッフやってなかったらここまで色々なところに来れて楽しめていなかったかも。スタッフをやっていなかったら、斬桐舞をここまで良い記憶として刻めていなかったかもしれない。
同期
人数は少ないけど、気の合う同期。会ってすぐに仲良くなれそうと思った。仕事面でもプライベート面でも歩幅が揃っている感じがして過ごしやすい。食に対する姿勢がみんな一緒。たくさん作ってたくさん食べる。食べた後は思い思いの体制でゆったり過ごすまでがルーティーン。良い巡り合わせ。
寝れなかった話
祭りのプレッシャー?とでもいうのだろうか。遠出のお祭りに行くという日は朝日が昇る時間まで眠れないで起きていることが多い。1年生のどりよさ黒潮サクラタウン、2時間。2年生の時のことは忘れてしまった。3年生のいばよさ、まつつく、かみすは1時間しか寝ていないかなかった。祭りは朝に出発しなければいけないから仕方ない。
たぶん、祭りそのものが自分の限界を超えていて、ちょっとやそっとで解決できるものではないけど、せめてもの抵抗として、寝不足にしておくことによって祭りのプレッシャーを肌で感じる余裕を奪って何も感じないようにしていたのかもしれない。自分が陰キャすぎて1日中人と一緒にいる代わりに前日に1人の自由な時間を堪能したかったのかもしれない。
踊り子としての話
りんしーちゃんが引退式で言った「スタッフで忙しくならないうちにちゃんと踊りの練習はしておくんだよ」にすごく共感。1年生の初めの頃とは違って、私は本当に踊りに気を遣えなくなっていた。自分が不器用だからかもしれないが、これ以上踊ることに傾倒したら学業かスタッフかどっちかが消えてしまうだろうなというギリギリのラインに2年間ずっと立っていた。もしかしたら、というか確実に、他が消えていたこともあった。
そんなわけで自分ではとても見れたもんじゃない演舞をたくさんしてきた2年間だった。でもあのとき精一杯やってもできなかったことだから、申し訳ないとかもったいないとか思っても意味はない。だから、引退はしてしまったけど、今後もさらに成長してお祭りにでられたいらいいなぁ。
理想と現実にギャップがあってつらかった話
やっぱり執行代は大変で、この学年はやっぱり求められてる執行代の強さに対してパワー不足だったところもあって。私は副舞長だったけど名前ばかりの副舞長で、空気を読むのが苦手で、事務的な作業だけじゃなくて、副舞長として同期としてもっと運営がしやすいように全体に声掛けしたりとかしてリードしなければいけなかったのだと思うけど、私はそういうのができなかった。
それだけではなくて、みんなは自由時間中、振りの話をしたり祭りの話をしたりプライベートの話をしたりしていたけど私はそういう会話をする力もなくてつらかった。
残酷にも立場として期待に応えられないことや体育館という場にいることのつらさは特に春以降大きくなってきて、斬桐舞に行く足取りがすごく重かった。学校に行きたくない不登校の気持ちとか、職場に行きたくなくて辞めたいと毎日言っている社会人の気持ちがわかった気がした。足取りが重いと遅刻したり欠席したりするんだ。理由を聞かれたとき「気が重かった」と言えなくて毎回困ってた。
練習後は疲弊していたからすぐ帰ってしまっていたけど、本当はもっとみんなとご飯行ったり喋ったりしたかったなぁ。したいけどできないことが憂鬱だっただけで、斬桐舞が悪いわけではないから気にしないでね。
書いてしまったから載せるけど、ここからはおまけ程度に。
よさこいの好きな文化
1年生の5月、まだ自分はつくばでお留守番をしていたとき、LINEに常陸国YOSAKOI祭りの写真が流れてきた。よさこい文化そのものに惚れたとき。大子町の商店街、真ん中の細い道路で良い笑顔で踊る斬桐舞、両側から演舞を観る観客、背景にそびえ立つ青々とした山々。日曜日のメインステージに立つと、広場からあふれんばかりの数の人が集まってきて、たくさんの顔やカメラが所狭しと重なり合い、ステージの上を期待の眼差しで見ているのを感じた。かみすの2日目然りだけど。茨城の山奥にこんな良い町があって、祭りによってこんな風に活気に彩られるんだって、思わず素敵なもの見ることができて嬉しかった。
それは本当に星を見ていて遅刻したのか
総合体育館に行く途中の田んぼ道は夕日がよく綺麗に見れるから、あの辺の場所ではよく写真を撮っている。あまりに綺麗な日は一生懸命撮るあまり遅刻したかもしれない。田んぼにいるサギのシルエットが夕日によって浮かび上がっている様子が綺麗。田んぼに水が張られる新緑の季節は、配水管から田んぼに水がじょぼじょぼと流れ落ちる音が、カエルの合唱と共に聴こえる。そういう日は音も入れたいから動画を撮っていた。そういう時間を過ごしていたかった。
泣きそうになった話
遅刻ばかりだった私ですが、大きいお祭りのF練が近くなった日に遅刻するとみんながF練している声が体育館の外まで聞こえてくる。オリジナル曲のの音楽と、今みんなが頑張って踊っているんだろうなという熱気と、踊りながら繰り出す威勢あふれる掛け声が入ってきてやっぱり好きだなぁと思って外でひと涙流した後、体育館に入る。実は、踊るだけじゃなくて斬桐舞を見るのも楽しいという話。
斬桐舞の進歩
コロナ禍、私が斬桐舞に入る少し前まではお祭りや対面での練習もあまりなかったみたい。そんな期間を耐えてくれた先輩方のおかげで今があるんだなぁと。14代目の執行代は学校や祭りの決めた感染対策の規定を守りつつ、自分達も初めての行事が多かったから本当に大変そうで、同じ学生には見えないほど仕事人だった。
代が変わってハイタッチや声出しがいつも通りにできるようになったり飲み会や遊びが増えたり、本来はサークルってこうだったのか!という発見がたくさんあって嬉しかった。舞員同士の交流が深くなった感じがした。
まだまだなところもたくさんあるけど、私が見てきただけでも練習の仕方とか伝達の仕方とか上手になってきたと感じるし、通常の舞員が発言したりチャレンジしたりする機会も増えてすごいなぁと思った。
1年生がお祭りに来てくれたりスタッフに立候補してくれる人が多かったりするのを見ると執行代としてはすごく嬉しいなぁと思う。今後の斬桐舞に期待!
他にも16代目のことや全体のこともたくさん書こうと思っていたけど、繋げ方がわからなくて自分のことばかりになってしまいました。スタッフでは17代目の執行代たちに色々助けてもらったし、散々書いたけど斬桐舞にもらった恩は返していきたいなと思っています。ここまで稚拙でよくわからない文章をよんでくださったみなさんありがとうございました。嬉しいです。また近いうちにお会いしましょう!
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