[15代目引退ブログ!] こな

序章


いつも大変お世話になっております。

比較文化学類3年ボラボラ・D・コナです。


実は引退前にこれを書き始めていたわけですが、

簡潔にする気は一切ありません。己の全てをぶつけます。

練習後の解散ミーティングでもないし、自分は舞長でもないので、話が長くてもツイートされないよね。

自分で読み返してみるとだいぶおセンチすぎてきもいまであるかも、

なんか友達減るかも、な気がしていますが、ご容赦ください。

あと、すごく主観的な話ばかりです。すま~ん。


Ⅰ コナという女


ここ数か月で急にいろんなキャラを与えられていたように感じています。

おセンチ、就活、蛙化先輩(1年生許すまじ)、おじさん、酒厄介、ムッツリなどなど。

こうして並べてみると不名誉極まりないネ!


事あるごとにキャラに紐づけて話を振られているわけですが、実はとても嬉しいです。


私は集団に属しているとき、自分がそこにいる意味をとことん考えてしまう節があります。

友達の輪であれ、委員会であれ、サークルであれ、

自分がいて居心地いいから、楽しいから、というだけでは申し訳ないというか。

誰かに「私がいてくれてよかった」と思ってもらいたいというか。

自分、中学生の時にいやがらせを受けていた時期があったので、

自分が他人にどう思われるかってすごく気にしてしまうんです。

重ねて、高校生の時に本当に人に恵まれて自己肯定感が爆上がりしたので、

自分も誰かにとって出会えてよかったと思われる人でありたいと思うようになったんです。


だからこそ、雰囲気が好きと思って入舞したきりきりでも、自分がいる意味を

ずっと考えていました。


自分のポジションがどうあるべきか、強く、深く定義しなければならないことを意識し始めたのは、初演舞となったまつりゆうき2021。

当時3つ兼サー、委員会にも入っていて、どの団体もいまいち自分の存在意義を見いだせずいた時期、おまつりの楽しさを実感して、もう他のサークルとか辞めようってきめました。


でも、自分は踊りがうまいわけでもないし、新振りに勇んで挑戦する度胸もなくて、団体にどう貢献できるのか、すごく悩んでいました。


そんな時に、同期から「新歓隊長はコナしかいない」と言ってもらったんですよね。

あ、ここにいていいんだって、すごくすごく嬉しかった。

もっともっときりきりに加担していこうって覚悟した出来事でもありました。


新歓が実際どうなったかは次章で。


そこからなるべく学業以外の時間をきりきりに捧げていく中で、

いろんなキャラ付けが続きました。

お前キャラぶれぶれやないかいって感じかと思いきや、全部本当に自分なんですよね。

時間をかけて、皆に素直になって、心を開いて、というか、皆が自分のいろんな側面を引き出してくれたという方が合っているのかなあ、

どんな自分でもきりきりなら受け入れてくれるだろうという安心感かなあ、

とにかく、皆といる時の自分が好きだ。©マカロニえんぴつ

素直であれる環境っていいよねっていう話でした。


引退していった先輩方は皆きりきりの温かい雰囲気が大好きだと言っていました。

実際にそれが何代も続いているのって、考えてみればすごいことなんだと思います。


3代のきりきりを経験してきて、それぞれの代で個々人の個性とか練習の在り方とかって全く違っていたけれど、温かさだけは変わらないってすごいですよね。

保温効果バツグン、、、ッテコト!?©ちぃかわ


これからも変わらないでいてほしいし、変わらないように自分も見守りたいです。(唐突の老害感)

きりきりがこれからもサーモスな環境である限り、皆さんがどんなキャラを出していこうと受け入れてくれるし、より個性豊かで楽しい界隈になると思います。


Ⅱ 新歓について


前章で触れた通り、2年生の頭は新歓隊長をやってました。

といいつつ仕事は1年生の11月からやっていて、そう思うと半年くらいやってたのか。

自分なりに色々工夫して、できることは全部ちゃんとやろうっていう気持ちでした。

残念ながらその当時作成していたドキュメントたちは夜空に輝くお星さまになってしまったのですが、一生懸命向き合っていたことはしっかり覚えています。


同期もやる気になってがんばってくれたんですけど、

当然うまくいかないこともちょこちょこ出てきて、

私も学生身分なのでサークル外で色々あって、

病んじゃいましたね。


走り抜けた先で、しばらく練習をお休みすることを決めました。

正直もっと1年生入ってほしかったし、ストレスで練習いけないことがすごく悔しかった。

今振り返って、おい、行っとけよ!って突っ込みたくもなるけど、

必要な休止符だったのだと思います。

私が参加しなかったお祭りで皆が楽しそうにしている写真を見て、

純粋に素敵だなあって心から感じて、

自分にとってのきりきりの大切さをちゃんと実感できたからです。


16代目を引っ張っていく立派な二年生たち、

本当に入ってきてくれてありがとう。

三年ず、私は期待に応えられたでしょうか。

私を信頼してくれて本当にありがとうね。


Ⅲ  個人的に印象に残っていることの羅列


いちいち感想ちゃんと書くと止まらなくなりそうだから箇条書きで。

詳しく聞きたい人は時間と酒とつまみを提供してください。


・桜総合体育館柔剣道場にて

なんか謎のぎっくり腰。寝たら治ってた。かにさん、お騒がせしました。


・13代目引退式

うなしーのお言葉で泣きました。


・チャレンジ双碧

初めての口上。殻破った出来事。


・2022年札幌

最後の演舞、4部で後ろを向いたら口上のボスと目が合った。


・免許合宿

べる、れら、こな、ららどす、りんしーで参戦。りんしーさん運転したら性格変わるかも。


・2022年まつりつくば

踊り狂い。ちなみに一番好きな総踊りはさんじゃねです。


・2022年まつりゆうき

色々あって直前で不参加になりました。悔しい。


・どりよさ

先輩たちの引退演舞。これについてはちょっと長く。

私は先輩とのコミュニケーションって苦手分野だったので、皆さんとたくさん関わってきたわけではなかったです。

あんまりかわいい後輩ではなかったよなあと自分でも思います。

でも、踊りに真剣に向き合って、コロナ禍の中でもきりきりを守り抜いてくれた先輩たちへの尊敬と感謝の念は並々ならぬものでした。

できることはしたい!と思っていた矢先、口上とB特をやってほしいという話が舞い込んできました。

ちょなさんは自分のわがままで~とかブログに書いていらっしゃいましたが、

私の殻を破る大事なお祭りだったと顧みます。

ちょなさん、そんなチャンスをくれてありがとうございました。


お祭り初めての口上はトゥリーさんの希望に沿って筑波大おばさんになってみるなどしました。(お気に入り前口上トップレベルです)


本当に最後の演舞の前口上は、ボスコナどっちがやろうかという話になったときに、

一旦私がやることにはなっていました。

でも、当日になって、私にはできないと思いました。

1日目も2日目の朝も、私よりずっと楽しそうに先輩と関わるボスを見て、

この大役を担うのはボスであるべきというのを痛感しました。

実際に任せてよかったと心から思っています。

今でもあの時私が抱いていた感情に当てはまる言葉が見つかりません。

悔しさ、嫉妬、焦り、らへんかなと思ったけど、

そんなネガティブな感じでもないです。

なんだろう、とにかく前向きな後味ではありました。


初めての特殊については、至らぬ点だらけで。

一緒になって練習してくれたえまるには感謝です。

今ふと思い出しました。ハチマキ落としたり、マスク落としたり、

とんだ醜態晒しの特殊でしたが、自分なりに楽しめたかな。


・2022年サクラタウン

え、2021年から1年経ったってマ?え、引退って結構すぐなんじゃない?を急に実感。これを書きながらびっくりしてます。え、またすぐサクラタウンやん??


・いばよさ

大子町の何かにアレルギー反応を起こして鼻水出てたし目腫れました。

口上が安定してきた時期でもあったかと思います。


・2023年札幌

B特、口上、たっぷり堪能させていただきました。

個人的にはこの時の口上が絶好調だったと思います。

ちなみに3部の「闘志を燃やし、さあ、前へ」の「さあ」は本番になって勢い余って出たアドリブでした。

パレードでずんずん進んでくる皆の顔、またあの位置で見たいなあ。


・2023年まつりつくば

後方彼氏面してたらいつの間にか踊り子になってた。


・神栖

これはもういわずもがな。

1日目は実は同期の中の関係図が大きく変わったことを実感して泣いてました。


1年生のときは山海で分かれていたために山ギャルという軍団が出来上がり、

2年生のあたりから段々溶け合って、

3年生にはユニットとか関係なくわちゃわちゃしていました。


そういう構図を振り返ったとき、自分は一人じゃないはずなのにものすごく孤独を感じていました。

引退して、定期的に会えなくなったときに、またどういう構図になるんだろうなあって思って。


祭り中に持ち込む感情ではなかったと非常に反省しています。

自分がまだまだ子どもなんだなって思い知りました。


2日目、審査演舞1発目でどちゃくちゃにミスっちゃってました。


演舞後は自分のミスが審査に響く不安で身投げの一回や二回したい気分でした。

だから斬桐舞の名前が呼ばれたその瞬間、もう崩れ落ちましたよね。

グランプリには届かなかったけど、皆で一つになれた、すごく愛おしい思い出です。


実はラスト写真撮るぞ~ってステージに飛び乗ったときに左足の甲を強打して骨膜が破れていました。


・東京よさこい

はみーの声をきいて、やっぱり男の口上っていいなあって染みていました。


・雙峰祭前最後の通し練

「札幌の時にも言ったけど、ステージ上では私たちはパフォーマーです」

みどりの言葉で一気に気持ちだけタイムスリップして、

でも体はしっかり2023年の11月で、すごく切なくなりました。


他にも引っ張り出せばそりゃ色々あるけど、がにさす長くなるから濃縮還元。


Ⅳ 引退演舞


雙峰祭前から当日まで譚。雙っていう字一生出てこなくてこの章書くかちょっと迷いました。出てきたので書きます。


正直、私たちの引退演舞が雙峰祭って聞いて、ちょっと複雑な気持ちでした。

今まで2年間どりよさだったので、引退はそこで!という固定概念があったからです。


でもいざ練習を始めたらそんなのどうでもよかったですね。

大事なのはどこでどう終わるかじゃなくて、

残り少ない時間でどう自分が頑張って、どう人と関わるかっていうプロセスの方かなとか思って、なるほど引退演舞って人生そのものだネ。


通し練をした時、うらじゃが終わって一列になって、ステージ上で三年ずで手を繋いでお辞儀をする場面で毎回うるっときていました。

だからどうせ本番でも最後には泣くんだろうなって確信してました。


前日の夜、日記を書きながら、特大おセンチかましてました。

こんなにも楽しみなのに、こんなにも寂しくて、自分の抱く一秒一秒の感情が愛おしくて、なのにちゃんと言葉にできなくて、明日が来てほしいようで来てほしくないような。

一人蒲団の中、自分が生きていることを実感しました。

こんな夜があったことをいつか思い出して泣くんだろうなって想像してうるっとしました。

気づいてない人がいるかもしれませんが、私のおセンチはファッションではなくガチです。

おセンチって3段階あんねん。

その場で感じるおセンチ、その場面を振り返る未来おセンチ、その未来を想像して刺さるおセンチ。


迎えた本番直前、舞台裏で円陣を組んで、

バカみたいにでかい声だして飛び出したステージ上。


私の憧れの先輩ちょなさんによる口上。(韻踏んじゃった///)

聞いてましたよね皆さん。

大泣き。

ちょなさん許さん好き!って思ってお客さんを見渡したら、

母を見つけました。


秋田の母は都合で千葉に来ているので、

どうしても私が3年間打ち込んできたよさこいを見てほしくて、

皆に会ってほしくて、

2日前くらいになってやっと誘ってみたんです。

行く!と答えてくれたものの、事情が事情で急にこられなくなることも覚悟してました。

舞台裏から必死に探しても見つからなかった、何かあったんだなと諦めていたのに、

母がちょこんと座ってました。

(後から聞いたら思ったより会場が遠くて着いたのが本当にギリギリだったらしい)


マミ!!ってまた涙が出てきちゃって、

そしてすぐ後に母のななめ後ろに「あんな♡」のうちわを掲げた1年生からのマブ3人衆を見つけました。

泣くやん。

そしたら次に、一つ屋根の下(広義)に住む大親友も見つけました。

え、泣くやん。

泣かない方がおかしくない??な気持ちで「よろしくお願いします」を叫びました。

(母も友人も私が泣いているのを見て大爆笑していたそうな。思えば初演舞となったまつりゆうきは太陽がまぶしくてしかめっ面をしてしまい、うなまるとみこさまに大爆笑されてたので、なんかいい感じにシンメトリーな感じですね。)


踊ってる間にも何人も知りあいを見つけて、

私が大学3年をかけて築き上げた人脈の一番濃ゆい部分の人たちばかりで、

時間の流れも、それにつれて自分の環境が変わったことも実感しました。


結構いろんな振りトチっちゃったんですけど、

楽しい、楽しい、楽しいでずっと埋まってた40分間。

さっきはどう終わるかなんてよ!って言ってたけど、結局ちょっとは大事かも。


個人的にはうらじゃが心に残っています。

うらじゃのラスサビってハリウッド映画の壮大なサントラ並みにドラマチックじゃないですか?ぶっちゃげもそうですけど、結構泣きそうになるんですよね。

老若男女ごちゃまぜになって手つないででっかい声出して、

自分だけではなくお客さんを楽しませるというえまるが掲げていた目標がぶっちぶちに達成できたんじゃないですかね。

ちなみにうらじゃで隣になった数人にも演舞後に声をかけていただいて、

また少し人脈が広がるなどしました。


「皆キラキラしてた、私もやりたくなっちゃった!」

「杏奈が泣いているのを見て泣きそうになった、かっこよかったよ」

「皆ががんばっているのを見て自分もがんばろうって思えた」


母や友人にはこんな言葉をいただきましたよぉ!©ジェラードン


雙峰祭が終わってから数日たちますが、いまだに終わったことを信じられません。

とりあえず、最後にステージ上で見た景色、拍手や声の音は、広辞苑の「感動」の例としてあげてもろてもいいかなと思います。


おわりに


自分のことばかりですみませんでした。

書いているうちに気持ちが整理できるかと思いきやあふれ出るだけでした。

おもろいことでも書いてやろうかと勇んでいたけど無理でした。

分量多すぎてついにGoogle ドキュメントの自動保存機能がイカレちまったのでそろそろ閉じます。


最後にちょっとありきたりだけど忘れがちな素敵なお言葉で締めます。

人生は選択の連続で積み上げていくもので、

私たち一人ひとりにはいろんな選択肢があったはずなんです。

それなのにこうして一つの団体で素敵な時間を共有できるのって、

よく考えたらすごいことなんですよ。

あと、人っていつどうなるかわからないものなので、

言えることは言えるうちに、会える人は会えるうちに。

やりたいことがあるなら、なるべく早くやっちゃいましょうね。

自戒自戒。

おセンチしたくなったら呼んでください。👉👈


人間はいろんな言葉を生み出していろんな表現を編み出してきたのに、

結局最後はこの言葉で締めるのがきっと一番しっくりきますよね。


ありがとう。





 画質終わってるけど母が撮ってくれた写真です

コメント

人気の投稿