17代目引退ブログ こりー
眠い目を擦りながら、パソコンに向かう僕。
今回は、斬桐舞の皆が読んだら自分がちょっと恥ずかしいくらい、あえて本音を書いてみることにしました。それは、大学生活を振り返るという意味でも、僕のことを興味ある人に自分の考えを少しでも理解してもらうという意味でもです。深夜テンションで書きました。
このブログは、自分にとっても大きな一区切りになると思います。自分のことに本当に興味のある人だけ読んでもらえたら嬉しいです。ちょっと長いので…
こりーの引退ブログ
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大学一年生。まだ大学生活が何もわからなかった自分は、3つのサークルに入りました。その中で一番あたたかくて元気だったのが斬桐舞。練習終わりのご飯が楽しみで、毎回色んな先輩と話しては、「自分はあと二年でこんな人になれるのかな」なんて思っていました。
振りを教わるときや、先輩の家に行って自炊会やゲームをして遊んだ時、とにかく色んな時にかわいがってもらいました。自分は結構ヘンテコで踊りもうまくなかったのですが、そんな僕に当時の副舞長兼振り班長のみどりさんはきっと、いや確実にヘタクソだろうと思われていたのでしょうが、まっすぐ非難することはなく、あくまでも私自身の成長を見守っていてくれた気がします。
そんな私に転機が訪れたのが、東光台夏祭りでした。当時注目していた筑波大学の学生芸人と、その芸人がテレビに出演した翌日に偶然出会う機会があり、そこで奇跡的に意気投合しYouTubeチャンネルをやっていく流れになりました。私は中学生のころからバラエティ番組をつくったり、企画っぽいことをみんなにして遊んだりが好きでずっとやっていて、それの延長線上というか、それの到達点とも言えるテレビに近そうなことができそうだと思い、その船に乗ることにしました。
そこから、斬桐舞への関わり方は変わっていきました。少し出席日数が減っても自分なりに斬桐舞に最大限貢献できるように旗士を選び、必死で旗を練習し、人前に出られる程度には振れるようになりました。
しかし、旗には定員の問題があり、振れるからといっても主要なお祭りに必ず出られるというわけではありません。私は2年の夏、行き違いもありその後の主要な祭りに旗士としてほとんど出られないことが確定してしまいました。当時は未熟なのもあり、「旗士なのに、、、」という虚無感と自分の斬桐舞での役目が一旦終わってしまったということに嘆きました。
元はといえば私が始めた物語。最初は少しずつ活動を続けていこうと考えていました。ですが、このタイミングで一度斬桐舞を離れ、自分の創作活動に力を入れることに決心しました。
以上の出来事は大学二年生の8月頃。
そこからの半年間は挑戦の機会にとても恵まれていました。そちらのサークルのメンバーも最初ということで協力的で撮影協力に10人以上のスタッフが集まったことで、「筑波大学のミスコン出場者に密着」とか「漢字1000個書くまで出られない部屋」とか、大掛かりな企画をバンバン投入できました。私が作りたい映像作品は、笑いで広い間口を取り、感動で人の心に響かせる、そんな作品です。一人の人でも多くの人が、純粋でいい気持ちを持ってほしいと願い、番組を作っていました。
しかしこれも長く続くわけではありませんでした。3月で出演してくださっていた先輩が引退することになり、サークルの残りメンバーで継続することを考えましたが、誰もやりたいという人はいませんでした。私は、作品を作りたいという思いが先行してしまい、制作スタッフに無理強いや厳しい言い方をしてしまっていたのだと思います。今考えれば、一緒に取り組んでいた仲間にそんなことを言ってしまったのは最低だった。
この時、自分の大学生活としては、もはや一貫したものではなくなっていました。
演者が残れば自分の作りたかった大型企画の動画を作り続けていたし、あの東光台夏祭りであの芸人さんと奇跡的な出会いをしていなければ斬桐舞に居続けていたでしょうし。
そんなことをすごく思いながら私は最後の半年間を過ごすことになります。
院に向けて勉強をしていかなければいけないというタイムリミットも迫る中、私ができることはなんなのか。貢献できることはなんなのか。
そんなときにふとじゃんみんの言葉を思い出したんです。
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それはある日の温泉でのこと。
ほとんどサークルに行かず、スタミにも出席していなかった私にじゃんみんは言いました。
「ゆーしんがスタッフのグルに入ってんのを見て、なんか色々詰められた時も、男は俺だけじゃないぞって安心するんだよね。だから、スタミでなくてもいいから居続けてほしい笑」
その時は冗談じみた感じで言われましたし、私も冗談じみた感じで返した記憶があるんですが、なんかですね、この言葉がですね、当時のどうしたもんかと思っていた心に染み渡ったんですね。自分がここにいる意味を勝手ながら感じたというか。
ということで、私が最後に大学サークルとしてできる恩返しは、未熟ながらも斬桐舞を盛り上げ、入りたてのサークル全体のあたたかい雰囲気、団結感、ご飯会などのいつでも学年を超えて話せる機会を後輩代に繋ぎ、17代目のメンバーにとって少しでも楽しい記憶で終えるというところに落ち着きました。
4月に本格的に戻った時、本当だったら17代目立ち上げやもろもろの準備などの大切な時間になにもしなかった私は存在感を発揮することはなく埋もれてしまうところでしたでしょうが、そこは同期に助けられ、喋る場が残されていたことは感謝です。
屋台で2個100円、5個300円のたこ焼きを爆売りしたり、新歓でA0サイズの2倍の超巨大立て看板をおいて14人以上入れたり、現役の仲を深めようと勝手に遊び隊長をやったり、人間的にまだまだ未熟な中、飛び道具的なリーダーポジションを沢山させてもらいました。
こんなに斬桐舞を遊びつくせたのも、同期の確実なサポートのおかげでした。
本当にありがとうございました。
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時刻は22時50分。これで終わらせたらこのブログは綺麗事になってしまうなと感じる。ここまで書いた内容では表せない、自分の至らなさに対する気持ちも書いておこうと思う。
2年夏の旗の交渉に関してはもっと早くから対話を重ねておくべきだった。諦めるのが早く逃げるように対話を終わらせてしまったのは僕だった。自分は旗の定員の問題が離れるきっかけだったのに、17代目でも改善できず、後輩にも同じ思いをさせてしまった。
私が意図していなくても不快にさせてしまった人、そして迷惑をかけてしまった全ての人に、心から謝罪したい。
もしそういう人がいれば、真っ直ぐ面と向かって私を非難してほしい。
その際は自分の非を認め、心からお詫びしたいと思う。
自分は「これが自分の人生だと胸を張り、人生を後悔しないこと」に全力を尽くした。
自分の選択を選んで選んで選んだ私は何も後悔はない。
全ての経験は今後よりよくできると信じ、改善と行動を続けていくだけだと思う。
だからこそ、引き続きいろんな人と関わり続けていきたい。
斬桐舞にいたこりーはこんな人で、
そんな僕の居場所であり続けていてくれた斬桐舞は自分にとって最高のサークルだった。
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私はもちろん、斬桐舞での活動でもっと成長し、刺激的な日々を過ごしたいという思いがまだまだあります。でも、一区切りつけなければいけない時期なのだと思います。それは、後輩に席をゆずり、同じような失敗や経験、成功や喜びを味わうということ、そしてまた、またその次の新たな後輩に思う存分席をゆずれる体制を整えることなのだと思います。斬桐舞の活動に従事するのは今月で最後ですが、仲良くなれた方々とは、ぜひまた楽しいことをしていきたいと思っています。誘われたら何でも行きますのでバンバン誘ってください!
P.S. 最後のえんやは思い出に残る会でした。練習後、ご飯に誘い続けてよかった。
こりー
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