17代目引退ブログ とめちぃ
みなさんこんにちは!
知識情報・図書館学類3年この、ひさしぃが、とめちぃで、かわちぃ。
とめちぃです。
実はひさしくんと名前被ってました。
まあそんなこともあるよね。
えまるさん命名のこのよさ名を背負って、2年半が経ちました。
早い!!って言いたいけど、正直そこまでスピード感は感じてないかなあ。
毎月毎週しっかり過ぎていったというか、きりきりは私の感情を良い方にも悪い方にも振り回してくる結構ヤッカイな?存在感ツヨメな?かんじだったので普通に長かったです。
今回はそんな2年半分の積もった話を大放出スペシャル(≧▽≦)
あまり人に話してこなかったことも書きます。
すごく長くなる気がするけど、某15代目舞長とは知識のDNAで血が繋がっているので話が長くても許されるよね。
書きたいこと全部書いて空っぽにするつもりなのでよろしく!!
1.思い出
・本新歓
体験会に毎回いた背高い人やっぱ来てる(じゃん)、宅通の子いた!(でぃな)、英語の班でちょっと喋ったことある(ゆりちゃん)、遅刻するタイプか?(こりー)。それ以外は記憶ない。
・23やどさい
きりきりデビュー!
白衣装がまだ届いてなかったんだけど、衣装着れるのが嬉しすぎて本番のあと紫衣装のままでぃなとかすキャンで踊りまくった。
・23札幌
同期きまずい👉👈 まだ全然仲良くない。
なぜか北海道の地でサムギョプサルを食べながら、7人+1チャッピーで新歓の作戦会議をした。(仕事早すぎるくね)
道庁赤レンガ会場のきりきりダッシュで大コケ。あの赤カラーコーン許すまじ!!
・23神栖
ファイナル決まった時の熱量はきりきり人生の中でトップ。宝常でこの盛り上がりを超えることはできなかったなあ。全員がきらきらしてて全員が燃えてて、賞を目指す意義みたいなのを感覚で理解した感じだった。15代目振り班、特にみどりさんのセンスとパワーがとにかく眩しかったです。
・23きらもり
3特を任せてもらって2週間家の前でめっちゃ練習した。
・23きりきり祭
内容的にもスケジュール的にもかなり際どくてスゴイことしたなと。
ごんちゃん成功させてくれてありがとう🤗
・24あみよさ
夢煙火変体デビュー。いろんな人に褒めてもらえて嬉しかった記憶。
あみの木を植えた。
・24新歓
優秀な新歓隊長こりーくんのおかげで現2年生という大集団を引き入れることに成功しました。
個人的には、この成功体験をのちに札幌と重なる激重レポートの9割を書くネタとして大活用させていただき、大変ありがたかったです。
みんなのおかげでA+だったヨ!
・24神栖
3B歌垣セット時代。ほんまにムリ。マラソンやん。
パレード審査演舞の歌垣で間違えて走り出してしまい大大大反省。
本当にすみませんでした。ていさんと審査員の苦笑いが忘れられません。
・24理大祭
思い入れが強かった祭り。詳しめに。
2年生の頃は全体的にきりきりモチベが低く、踊ってても「楽しくないな」とずっと思ってました。
それである時練習動画を見返していて、気づいたんですよね。
あれ、私全然上手くないじゃんって。
モチベの低さが表れていたのか、みんなが上手くなってきて自分が埋もれ始めていたのか、わからないけどそんなところだと思います。
私は普通にプライドが高いタイプなので、出来れば自分で解決したかった。でもいくら考えても何が足りないのか分からなくて、遂に先輩に踊り方のコツを聞きまくろう作戦を決行しました(みどりさん、えまるさん、うなさん、はみーさんありがとうございました)。
これは私にとってすごく勇気がいることで、殻破った出来事。この時が1番自分の踊りと向き合ってたなあ。
歌垣振りが誕生してすぐだったので、ものにしなきゃという振り班としての意地もありましたね。
理大祭の目標は個人賞をとることでした。
私いばよさとかサクラタウンで個人賞もらったこと1回もないので、それで自分は大丈夫だっていう1つの安心材料にしたかったからです。逆に言えばちょっと頑張ればそれくらい余裕だと思ってました。
しかし結果は、2度あったチャンスを掴むことはできず。
まあ一気に詰め込みすぎてパンクしたって感じで、あの時は本当に本当に本当に悔しかったです。
それから自分より踊りが上手な人に対する敵対意識というか(ごめんなさい)、踊れない自分に対する失望感というか、それがズルズルと長引いたせいで踊り楽しくない!マインドとお友達になってしまいました(._.)
ただ、総踊りのこの地へが激エモすぎて、そうやって悩んだ時間も含めていい思い出です。
・25桜川よさこい
3年ず、はずれのクレープ屋さんにあたる。命名:ガスガスクレープ
・25いばよさ
土砂降り演舞、1回やってみたいとか確かに言ったけどさすがに満喫させすぎ。
でぃな、目黒蓮と念願の乾杯。
・25札幌
3年ず大語り大会でおもろかった。楽しかったよ^^
・雙峰祭引退演舞
朝かすキャンででぃなとヘアカラースプレーをぶっかけあったのですが、春日キャンパスはいつも通り、雙峰祭とは思えない静けさでしみじみとしました。
円陣からステージに上がってお客さんが視界いっぱいになった時は、家族、先輩、中学の恩師など、みんな場所はばらばらなのに知っている顔が一気に目に入ってさすがにうるっとしました。
あと、あまりタイプではない知識の先生が最前列にいた。(ナゼ!?)
月曜12限の宅通には厳しい時間に開講している授業で、朝きつくて1回サボってしまったのでこの演舞で評価良くなれと思って踊りました。
珍しく感じていた緊張も、宝常男振り待機のときにじゃんが謎の白い羽を拾ってわちゃわちゃしたので、いい意味で気が抜けて助けられました。
その後の夢煙火は過去一番のキツさで、以降思うように踊れなかったのが少し心残りかな、。
特にラスサビ変体は視界がぐらぐらしててよくステージから落ちなかったなと自分に感動しています。
まあ、最後だから落ちてみても良かったカモ。
楽しかったです。
2.紫瀑と宝常
何か書き始めなきゃと思って思い出から入ったけど、ここまでに2週間かかってしまいました。
あは。
筆が進んできたのでこの調子でいきます。読むの疲れたら休憩してくださいね。
みんなは休憩かけてもずっと練習しているので心配です、、笑
私は新歓祭の紫瀑、えまるさんの船長をみて入舞しました。まじかっこよかったす。
見るのも踊るのも大好きな曲です。
15代目の踊り納めだった雙峰祭の紫瀑。
あの時自分引退じゃないのになんかすっごい泣きそうになって、今でも動画見返すと、はみーさんが船長ジャンプで出てくるところで涙が出るんですよね。なんでだろう笑
私も中高でそれなりに打ち込んできたことがあって、でもこういう感覚は初めてでした。
楽しく踊るだけだった1年の私でもそんな風に思える紫瀑が好きだったし、それを作り上げた先輩はやっぱり流石だと思います。
でも定期的に見返しているうちに、そういう感動と同時に今の宝常では、今の自分では、同期はともかく後輩を泣かせる演舞はできないとも思いました。
それでも、
宝常を踊り納める代として、泣けるくらい愛される演舞にしたい。
後輩にも楽しかったな、もう踊れないの寂しいって思ってほしい。
その思いは変わらず、宝常の個人的な目標を「後輩を泣かせる演舞にする」にしました。
スタッフ意気込みで内緒にしていた目標はこれです!
…でもどうでしょう。
後輩どころか同期一人も泣かないじゃんかあああ!!笑笑
まあ、途中からそんな気はしていたのでいいです。楽しかったしね。
ただそう思えるくらいの演舞を作り上げるまでは本当にいろいろあった。
特にみすみはずっとリメイクとか考え続けてくれて、大変だったよね。お疲れさまでした。
宝常の振り入れは24新歓とほぼ同時に始まって、このあたりから「きりきり行きたくない」って感情が湧き始めました。それをきっかけにお豆腐メンタルこじらせてしまい、以降涙ながらに帰る日も増えちゃいました。
当時斬桐舞にはとにかく問題が山積み!
15代目が抜けて人数が激減してしまったこと、超財政赤字だったこと、振りを作る・入れるというノウハウがあまりに欠如していたこと。他にもたくさんあったと思います。
みんな優秀でよく働いていたので新歓についての心配は正直あまりなかったけど、人数が人数なのでとにかく人をいれなきゃというプレッシャーは少なからずあったし、何よりいばよさまで時間なさすぎるしで焦りました。
ここからはかなり個人的な解釈が入りますが、15代目は執行代としても、紫瀑という作品としても、本当に綺麗に、文句のつけようがない完成形をつくりあげての引退だったと思います。
本当に偉大でした。偉大過ぎたからこそ、先輩たちが抜けた後の斬桐舞は、一言でいえば「からっぽ」だった。
今まで普通にできていたことができなくなって、理解されていたはずのことが上手く伝わらなくなって、少なすぎる人数で仕事を抱えているていさんたちを助けなきゃいけないのにどんどんすれ違っていって、振りは浮かばないし泣、練習場所はないし泣泣。
次に繋げていくことがいかに重要か痛感しました。みすみがよく言っている「次に繋げる」というのはこういうことだと、私は思っています。
特に宝常振り入れ初期、ストレスでていさんがどんどん弱っていくのをそばで見ていて、次は自分かもしれないという怖さもありました。実際、2年振り班が主導でF練・振り入れをすることになったとき、やっぱり辛かったです。
厳しいツッコミにも、振りを詰めきれていないから言い返せなかった。言葉で言われなくても雰囲気でみんなが「宝常」に対して不安感を抱いているというか、信用できていないのがすごく伝わってきたし、その責任がすべて振り班に向けられているように感じた。
いっぱいいっぱいなのを感じ取って優しくしてくれないみんなにも、しっかり対応できない自分にも苛々していました。
そんな中で、先輩から信頼されていたのはやっぱりみすみで、振り変更の相談も事後報告されることが多く、振り班としても居場所がないなと思ってしまって病みました。
かなり個人的な感情でしっかり斬桐舞と向き合えなかったこと、反省しています。
愚痴をたくさん聞いてくれたこりー、でぃな、じゃん、ほんとにありがとね。
とっても救われてました。
私がそんな感じでこじらせていても、24いばよさではしっかり結果を残し、宝常の土台を築き上げた16代目の5人は強くてかっこよかったです。もっと役に立てたらよかったと今になってすごく思います。
私を含め17代目の意見をたくさん聞いて受け入れていただいてありがとうございました。
それからは怒涛のリメイク祭り!!
飛んでくる野次のかわし方を少しずつ習得しながら、試行錯誤の日々が始まりました。
大変だったけど好き放題させてもらって楽しかった~~
宝常の好きなところは、「後ろで踊っていても楽しい」ところ!
私は歌垣を踊らせてもらうことが多かったです。
4部ファンサ、歌垣終わりでめっちゃ苦しいし、衣装変えなきゃだし毎回きついきついと思いながらも、旗士を含むみんなが17代目のスローガンを全力で叫んでる、それを後ろから見てるとすごく感動するんですよ。そこが好きです。
あとお互いの顔を見られるのもいいよね!
1部のファンサとか盆踊りで回ってる時とかちゃんと一人一人の顔が見られて、それも好き。盆踊りは結構みんな顔死んでるけど笑笑
神栖最後のステージで、5部こりー、じゅわん、サンディーあたりとばっちり目が合ってめちゃくちゃ嬉しかったです。
はじめは辛いことも多かったけど、最終的に宝常の好きなところをたくさん感じて踊り納めることができて満足しています。
ありがとう宝常!
3 とめちぃ
かなり話してきました。
自分語りのキワミ!!!すみません。
でも引退ブログってこういうものだよね!?
不安になってきたので一回みんなに聞いておいて、自分の話をします。
・スタッフ
17代目に代替わりして1番初めのスタミで泣いた。多分誰も覚えてないと思うけど笑
その時に、もう頭と口じゃこの人たちには敵わないなと思いました。
早速心折れてて大丈夫かよってね。汗汗
でもそれがきっかけで、副舞長としてできることは運営よりも踊りの方だって決心がついた。
その選択は間違いじゃなかったなと、今は思います。
誰よりも踊りが上手くなるって目標は、正直達成はできなかったけど、自分の踊りには最後までそれなりの自信とプライドをもって踊りきれたので、とめちーがんばったねって言ってあげたいです。
・振り班
振り班として前に立つ時、少しでも親しみやすく、わかりやすく、かっこよく踊れるコツを伝えるように努力してました。
その結果生まれたのが「インスタ映え」ポイント、「我慢」ポイント、「加水分解」(これはかなり頻度低かったけど)などです。
今となってはこれらのフレーズはかなり定着した、よね!?
みんなとの新しい共通言語を生み出せて嬉しいです。
踊りは暗黙知的な側面が強いから、動きの感覚を言語化して、かつ誰にでもわかるように説明するのはとても難しいです。でも3年振り班はそれが結構上手かったんじゃないかなー。極め練やF練中にみんながクスッと笑ってくれることが多かったように(勝手に)思ってて、ウケの度合い、どれだけみんなを笑わせつつその日のノルマを達成するかがやりがいの1つでした。
・踊り子
そして、こんなお豆腐メンタルでも最後まで踊り子を続けられたのは、とめちぃという存在を認知してくれている人がいるっていう嬉しさがほんっっとうに大きかったです。
とめちぃさんのことをみて入舞決めましたって言ってくれた後輩がいて、
ファンだって伝えてくれる先輩がいて、
カメラでたくさん抜いてくれるよさかめさんがいて、
ユニステが終わった後、知らない男性に
「とめちぃ。」
と声をかけられビビってしまったが、話してみたらじゃんのパパだったり、
めかパパにも認知されていると話を聞いたことがあります。
本当に嬉しくて、ありがたいです。
私がきりきりに入って、踊っている意味がこういう方達のおかげで形になっていました。
直接感謝を伝えられない方が多いけど、本当にありがとうございます。
ここだけの話、私は作り笑顔が得意です。
いろんな人に褒めてもらってきた演舞中の笑顔。
心からの笑顔はせいぜい2割くらいで、あとは正真正銘の営業スマイルです。
夢を壊してしまった人がいたらすみません。
吹奏楽部だったとき、学校一笑顔が怖いと有名な顧問の口癖だった、
「笑顔はタダなんだから、どんな演奏スキルでも笑っておきなさい」って言葉がなんだかんだずっと残っていて、これはパフォーマーとしてステージに上がる立場では結構大事なことだと思うんです。
だからがんばってました!結構上手いでしょ?笑
とめちぃさんみたいな笑顔で踊れるように頑張ります!ってアルバムに書いてくれた後輩たち。秘訣はここに書き残しておくのでぜひ参考に!笑
私はただ踊るのが好きなだけで、「よさこい」にのめり込むことはできなかったけど、
それでも私の踊りを好きだって言ってくれる人たちがたくさんいて、幸せな踊り子だったなと思います。
4 同期
さて、ここまで読んでくれた同期は何人いるんでしょうか。
みすみが引退式で、じゃんのスタッフ意気込み読んでない。と言っていたのでとても不安です。
だれかいると信じていきなりいいことを書くと、
私たちはお互いがお互いに、それぞれの長所や得意なところをちゃんと知っていて、信頼していて、それが自然とそれぞれの短所を補って、奇跡的に調和がとれているすごい11人だと思っています。
あまり活発に喋ったりしないのに、例えばみすみだったらこう言うよね、とか、じゃんは絶対嫌がるよーとか、でぃなは来ないだろうとか、何気ないけどこういう会話するんですよ。
ちゃんとその人のこと知ってないと出来ないことだから、なんだかんだ同期してたね。私はこの雰囲気が自分に合っていたから居心地がよかったです。
♪Official髭男dism「TATOO」
今(2025/11/1/13:43)最寄りのバス停でこの曲を聴きながらバスを待っているんですが、歌詞が3年生にピッタリすぎててなんかうるうるしてきました。
今夜はまだ前夜祭なのに!
ぜひこの章のBGMにして読んでください。
今まで何も考えず聴いていた曲なのに、1度そう思ってしまうと歌詞と連動して同期の顔とかエピソードがいっぱいでできて、ほんと困りますね。
きりきりとしての体感は長かったけど、みんなと出会って一緒に過ごす時間は早かった。
泣いたり、悩みをうちあけたり、私たちの間でそういうことはほとんど無くて、3年間ズッ友を公言してるわりにはあっさりした雰囲気でした。
だけど、さらっと助け合ったり、ぬるっとふざけ始めたり、突然言い合いになったと思ったら3分後には笑いあってたり。
そういうのもう慣れちゃったよね。私たちはこれくらいの距離感がきっと丁度良くて、大切でした。嫌なこともそりゃあったけど、次好きな代選べるよーって神様に言われたら、みんなの所に行く気がします。
上手く例えられないけど、“かけがえない類の何かさながら‘’ってかんじ。(キマッター!!)
恥ずかしいけどほんとだよ。
こんなぴったりな曲を作ってくれてありがとう、髭男。
ありがとう、ズッ友!
なもちゃん
体験に来てくれた時から、名前が同じってこともあって勝手に親近感もってた!口上上手すぎるし、踊り子でも超いい表情するし、いつも自分を持っていてかっこいいなもちゃんがだいすき!
口上のコツを「腹から声出す。」って言ってたのが面白かっこよくて最高でした。
ぽた
ぽたは私が一人でいる時によく話しかけてくれて、それでいて結構おもろいこと言うから愛おしい存在です。いつもどんな時も、割り勘の端数まできっちり持っている能力はどこで手に入りますか?
はま寿司の揚げ物は全部ぽたが揚げているものだと思って大事に食べています。
うか
最初こそみやびからスパイが来たゾと思ってたけど、やっぱめっちゃ踊り上手いし運転上手いしいい子!!きりきりを選んで、うちらの同期になってくれてありがとう!!ヘアアレンジのレパートリーの多さに毎回感動してたよ。
ごんちゃん
ほんとにいつも笑顔ね君は!笑 忙しい時も多かったと思うけど、なんだかんだ特殊とかもやってくれて、ごんちゃんがきりきり謳歌してるの見てると私も嬉しかった!サイダーガールの話通じたのごんちゃんが初めてでそれも嬉しかったーー
ひさし
ひさしが入ってから、一気に同期の仲が縮まった。これまじ。いつもしょうもないうちらのバランスをとってくれてありがとう。スタイルが良すぎて踊ってるとき「俺なんか変じゃない?」って最後悩んでいたのがおもろかった笑 ユニステ一緒に男歌垣できてよかった! パリコレに出るときは教えてね。
ゆりちゃん
いつからかペットボトルを頭に乗せて運ぶ癖がついたゆりちゃん。
お天気お姉さんのゆりちゃん。
たまにでる毒舌と悪い顔選手権のゆりちゃん。
いろんな顔を見せてくれるようになって全部かわいかった!いつかはクラウンに乗って迎えに来てね。
みすみ
ボス、お疲れ様です。右腕として働かせてもらって光栄でした。
ところで、最近個展の方はお休みされているようですが、次の新作はいつ頃でしょうか?描けたら送ってください。Ikakuの保有率ナンバーワンも、ぜひキープしてね。次会う時の服が楽しみです。
こりーくん
沢山の選択肢があった中で、きりきりに戻ってきてくれて、旗士を続けることを選んでくれてありがとう。自分のことより場を楽しませようとしてくれるところは、同期でもきりきりでもすごく助けられてたし、旗士としてもぴったりだなって今は思う!引退後の同期を集めるためにはこりーくんの呼びかけがないと無理な気がします。頼んだ。
でぃな
暑い日も寒い日も、いろいろ話しながらかすキャン構内を自転車で突っ切るという悪行を重ねたね。見つからなくてよかった。練習終わりに体育館でだらだらしたりご飯行ったり、練習オフショ撮ったりできないうちらにとって、一緒に帰る時間はつくば組に負けてないくらい青春だったよナ!!
ある日愚痴が大盛り上がりしてるときに、後ろからとっつがついてきてた時はビビった。
じゃん
なんだかんだ、うちらのまとめ役(憎まれ役)をこなしてくれて感謝しています。最初こそみすみとバチバチしてたけど、お兄さんになったね。初期メンで付き合いも長いのに、私はじゃんの好きな食べ物も知らないまま引退してしまいました。でもじゃんの似顔絵を描くのはきりきり一得意です。舞長おつかれさま!
5 おわりに
引退式でも少し話しましたが、
「斬桐舞に入ってよかった」
そう思えるかどうかは自分次第です。
歴代先輩たちが引退ブログで、きりきりたのしかった、入って正解だった、そんな言葉を綴るのは、斬桐舞という組織自体にそういう魔法がある訳じゃなくて、一人一人が自分の力で価値のある時間にしていったからだと私は思います。
代々その色は違うのにみんながそう思って引退できるのは、現役として所属する2年半の間に、いろんな人と関わって、いろんな経験をして、成長できる場として斬桐舞が存在しているから。
そんな風に思いました。
そして、そんな雰囲気を守っていかなくちゃいけない決まりもありません。
長い間斬桐舞を見守って下さっている社会人さんたちがいて、
エネルギーに溢れる現役のみんながいて、
フレッシュな新入生が加わって、
そんな関係図がこれからどんな風に混ざりあって、どんな色になって変わっていくのか、私も楽しみにしています^^
形はどうであれ、よさこいは続けるつもりです!
練習場所が吾妻小に戻ったら、より積極的に顔を出します。
斬桐舞がこれからもっともっと素敵な、活気溢れるチームになりますように!
2年半、ありがとうございました!
17代目 副代表
とめちぃ

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