17代目引退ブログ じゃんみん
引退ブログ
こんにちは!17代目斬桐舞舞長を務めさせていただきましたじゃんみんです!
舞長になってからもう1年?!本当にあっという間の1年間でした。
多分僕の人生の中で一番濃い1年間だったと思います。やることが多様過ぎて忙しくて何度も頭がパンクしそうになるということはこれから先なかなかないでしょう。その分貴重な経験をたくさんすることができました。
「先輩たちはこれを乗り越えてきたんだすげえ」って身に染みて感じました。
前置きはこれくらいにして、2年半の現役の中で一番はまった口上の思い出からスタートして17代目舞長は一体どんなやつだったのか振り返っていきます。
・口上の魅力
よさこいの「声」が僕は大好きです。というのもあって口上というポジションが楽しくてたまりません。個人的に口上に取りつかれていった経緯を簡単に。(東京花火→神栖→2回目の札幌)
1年生の札幌から帰ってきてからいろんなよさこいの動画をYouTubeで手あたり次第見ていました。そんな時に東京よさこいの東京花火の動画を聴いてめちゃくちゃ感動しました(第一段階)。ちなみにこの動画との出会いがぼくが口上をやりたいと思ったきっかけです。
札幌からしばらくして1年生の紫瀑で参加した神栖。神栖ではファイナル演舞で2つ「声」を好きになる要素がありました。
1つはべるさんの「出航だ!」です。
べるさんの口上が好きでよく過去動画を聞いています。あんなにかっこいい口上ができる人はなかなかいないし、すげぇ!ってずっと思っています。神栖の時も踊っていながらもすっと入ってくる口上のおかげで何十倍も演舞を楽しめたし、口上が大好きになりました。
もう1つはうなさんの声です。
B特踊って近くに移動してきたうなさんが放った「死力を尽くせ!」によって体の中でアドレナリンが大放出され、そのあとは感動しすぎてウルっとしながら踊り切ったのを今でも鮮明に覚えています。
憧れの先輩たちの「声」のせいでさらに沼ってしまいました。(第二段階)
ちなみに僕の口上デビューは1年のきらもりです。憧れのべるさんと一緒に口上ができてすっごく楽しかったです。それと同時に自分の口上の未熟さと口上の奥深さも痛感した少し苦いデビューとなりました。
最後はオール口上で参加させてもらった2年生の札幌。
札幌の大通3連続パレードと審査パレードの口上はいつまで経っても忘れられないくらい感動してました。審査は同じ目線の高さで段々とみんなが近づいてきてみんな本当にいい笑顔でした。踊り子の声と表情を1番の特等席で独占できるあの会場は口上を沼らせきています。そして見事に沼りました。
夕方の大通パレードは地方車のライトに照らされたみんなの笑顔と響き渡った挨拶の声に感動して一人で勝手に泣きそうになっていました。(第三段階)
これにて口上大好き人間が誕生しましたとさ。めでたしめでたし。
この札幌の後も光が丘、神栖と口上を続けて、それからしばらく口上をやらなくなってしまいました。そして3年生の札幌で久しぶりにオール口上をしました。やっぱり口上が一番しっくりくるし口上が大好きなんだなあって実感しました。
口上をやっていると、他のチームさんの演舞を見たときもどうしても口上に頭が行ってしまいます。元気ハツラツな口上や力強く心を鷲掴みしてくる口上、安心感あるイケボの口上などいろんな口上さんがいてそれぞれのチームの演舞を素敵に彩っています。口上がその演舞の質を左右しているといっても過言ではないと思います。ぜひ皆さんも口上に耳を傾けてみてください。きっと口上の素晴らしさを感じていただけるかと思います。
斬桐舞の中で口上という好きなものができたのは本当に良かったと思います。僕は踊ること自体が好きってわけではなかったので、サークル内で頑張りたい・上手くなりたいって思える存在ができたおかげで斬桐舞の一員として楽しいよさこいライフを送ることができました。よさこいに口上の概念があったことに感謝です。
・舞長のイメージ
実は舞長をやるってなってから、口上をやる頻度についてすごく悩みました。自分の中に「舞長=踊り子、入場直前の円陣」ってイメージがあったからです。口上だとどうしてもこのイメージに当てはまりません。
結局3年生で出たお祭りはほとんど踊り子で出ました。正直、全部のお祭りで口上をやりたかったなっていう心残りはあります。が、その分自分の舞長像に少し近づけました。
僕が思っていた17代目の執行代の役割分担は、「じゃんが外向きの顔・みすみが内向きの顔・とめがスタッフの潤滑役・安定安心のゆり・最後の一押しはでぃな・こりーが最後の砦」というイメージでした。そして実際にそういう形でうまいこと運営が進んでくれました。というわけで、17代目舞長の一番のイメージは「斬桐舞の外向きの顔」でした。
・斬桐舞の外向きの顔
茨城のよさこいチームの方、お祭りの運営の方、演舞のお誘いをくださったいろんな施設の方、斬桐舞の演舞を見てくれた方。この1年間で本当にたくさんの人と関わり、お世話になりました。ありがとうございました。
出会ってきた人たちはおおむね社会人の方ということもあり、基本的に年上の方でした。みなさん斬桐舞のことを気にかけてくださり温かい言葉をたくさんかけていただきました。感謝の言葉しかありません。チーム代表として嬉しい限りです。
個人的に外部の方と出会ってきた中で、人のつながり・温かさをたくさん感じました。この経験はただの大学生をやっているだけでは得られない経験だと思います。斬桐舞という外部とのつながりがたくさんあるサークルの代表をやったからこその貴重な経験です。
・地域演舞
舞長になってからほぼ全部の斬桐舞のお祭りに行ってきました。おかげで4月からほぼ毎週末、演舞でどこかに行ってた気がします。忙しかったけど楽しい日々でした。
1年を通して見ると斬桐舞の演舞でオリジナル曲を踊る機会はほとんどなくて、大半が地域のお祭りやイベントなんですね。オリ曲を踊るのもいいけど、斬桐舞のメインの活動は地域演舞で色んな人と触れ合うことだと思ってます。行ってみるとお客さんとの距離が近く一緒に踊ったり手拍子してくれて、あの時間がほんとに楽しくて仕方ありません。(まだ行ったことない人も一度くらいは行ってみよう!)これからも斬桐舞がいろんな演舞に行ってたくさんの人と楽しい時間を共有してくれればいいなと思います。
17代目の方針として演舞依頼は基本断らない、お客さんとの一期一会を大切にというものがありました。地域演舞大好きな人間としてこの方針を立てた過去の自分たちが誇らしいです。
・舞Dream
いきなり話が飛びまして次の話題は舞Dreamです。
8月前半にいきなり舞Dream振り入れというものが現れました。そして気づいたら地域演舞でもたくさん踊っている。
舞Dreamを復活させた理由は主に①個人的に昔の動画を見てて舞Dreamいいなあ、やりたいなあって舞長になる前から思っていた。②夢煙火をいろんなところで踊りすぎていつも見てくれる人たちに申し訳なさを感じていて曲のレパートリーを増やしたかった。の2つです。舞Dream復活ができて大満足です。
ただ、振り入れをやった時期が悪くて練習にあまり人がおらず、振り入れができていない人たちに地域演舞への二の足を踏ませることになったのは申し訳ないです。
舞長としてやりたかった事の一つなので、それがちゃんと形になってくれて喜ばしいです。
・17代目舞長
のんびりと自由気ままに楽しんで、いつもニコニコとして成り行きに身を任せ、最後の責任取って後始末という立場にいようとし続けてきました。これは代替わりしてからずっと変わりませんでした。同期がみんな優秀だからできることです。
舞長という立場にいて「良くも悪くも自分のテンション感がチーム全体に伝わる」ってことをイヤというほど感じてきました。一番わかりやすいのはアップと締めの総踊りです。たまに調子が悪くて自分の元気がないと、その日の練習の雰囲気が確実にいつもより元気がなくなりました。よくない空気感は自然と全体に広がってしまいます。舞長なりたての頃はこのことがしんどかったです。
半年もすると慣れていくもので、しんどさは薄れていき逆にカラ元気を獲得しました。
・同期へ
こんな自由奔放で頑固な人間を舞長にして、よくこの1年間執行代を務めきれたなと思います。おつかれさまでした。そして、一緒に執行代をやってくれてありがとう。
この同期たちと一緒に執行代をしてきてなんだかんだ楽しかったです。
・18代目へ
これからの1年間をしっかりと胸を張って楽しんで過ごしてください。分からないことは先輩たちにいっぱい頼ればいいけど、最後の決定をするのは自分たちです。ちゃんと自分たちのやりたいことを自分たちの考えと言葉で実行してください。そして、楽しい空間をつくるためには自分たちこそが楽しくないと何の意味もありません。
いろいろと大変なことはあるけれどなんだかんだ楽しい1年です。がんばって!!
・最後に
先輩方、外部の方々にはたくさん気にかけていただき、お世話になりました。本当に感謝しかありません。今年はOBOGとの関わりも増え、いい刺激もたくさんいただきました。舞長としてたくさんの方と出会ってきて、その一つ一つの出会いが僕にとってかけがえのない経験です。
本当にありがとうございました!!
17代目舞長 じゃんみん
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